学者の自伝

2012年2月25日 (土)

『世界青春放浪記1&2』 ピーター・フランクル (20)

■人は人で磨かれる

いや、やっぱり外国人の自伝はおもしろい。土台になる背景が違うからいちいち斬新で新鮮味を感じる。ピーターの祖国はハンガリーなのだけれど、彼は「外国人」という存在としては特殊な人生を歩んできている。外国人の中の外国人とでも言おうか。国というものに対してかなりフラットな状態で、こんな風に国家に影響されながら生きて、しかも国家から距離感を感じる人物に興味を惹かれないわけがない。ぎりぎり一般人の大冒険といった波乱性も、もしかしたら私も同じように生きられるのではないかという妄想をかきたててくれる。

この自伝の最大の特徴は人との出会いということになる。普通の自伝は自分の所属先に拘束され、そこでの出来事や成果についてその過程などが軸になって展開される。しかしピーターの自伝は違う。ピーターの出会った人の紹介から始まりその彼と何をしたか、どのような影響を受け自分はどう変わりどう行動したかが書かれている。ピーターの人生はピーターだけのものではないのだ。様々な影響を与え合い、ひとつの作品のように現在の彼ができている。だから遠回りのように見えて、実際彼の人生を振り返る時なくてはならないことを盛り込むと、このように多くの出会いと別れを書くことになる。

とてもおもしろい自伝なのだけれど、人によっては不快感を覚える部分もあるだろう。きっと日本人の感性にあわないのだ。他人は使えない自分だけが使える特権を行使する、というのは日本ではとても嫌われている。コネに嫌悪感を抱く人は多く、要領良く乗り切るのはずる賢い印象を受ける。日本人の最も嫌う卑怯に近い。この辺とても難しい所で、私とは育った環境も違い安易な非難はできない。他にも性的な話もある。愉快に書いてはあるが結構内容は卑劣である。やはり読み手を不快にさせる部分がこの自伝にはある。しかし自伝という形式でそこに踏み込んでいるという点で、外国人だということを差し引いても、この自伝は大変価値のあるものだと思う。(好ましくないなとは思いつつ、痛快に思う部分も大変多かったことは書いておく)

私はこの自伝をとても評価したい。評価したいというと偉そうだけれど、自伝を書く人はピーターのように誠実に自分の人生と向き合い、そして正直に書いてもらいたいと思う。書かなくてもいいよな、と一瞬躊躇するだろうことも書く。それが自伝に対する誠実な向き合い方だと思う。

小賢しいガキんちょのビルドゥングスロマン、愉快で楽しくちょっとズルいそんな感じ。真面目な内容にエロもあるよ。良い自伝です。

共産主義、東欧、ユダヤなんかに興味がある人にも面白いかも。

★自伝評価
・オススメ :■■■■□
・役立ち   :■■■■□
・面白い   :■■■■□
・感動     :■■■□□

2011年7月15日 (金)

『ボクは算数しか出来なかった』 小平邦彦 (17)

■算数だけでも

なんというか、嫉妬する。おぼっちゃまというのはずるい。恵まれた環境でのびのび育ち、
考える基準もそこで培われる。逸れるとしてもたががしれていて、悩むにしても余裕があ
り、他人への悪意が感じられない。悪意がないから困る。だからこういう自伝を書くのだ。
妬むこちらが惨めになる。

起こった出来事の振り返りが中心で中身はスカスカ、数学研究と趣味の音楽を取り除いた
ら何ものこらないんじゃないか。学者の履歴書としてはいいのかもしれないけれど、数学
者としての経歴ばかり、もっと色々あったでしょうに。生きる上での信条、信念といった
ものはまるで触れられず、苦労してない感じばかりが残る。

役人の親の元、モラトリアム人間よろしく成長し、戦中もさしたる苦労もせず親に頼る始
末。戦後の立ち直りもトントンのトンと進んでいく。当てのない論文を書いていたという
のは評価できるところかもしれないが、実体はそれしかできなかったというだけのことで、
戦争という現実から目を背けていただけではないのだろうか。そもそも日本の戦争もどこ
か人事みたいだしね。役人の息子は違いますな。戦中、いいタイミングで教授職に就き、
戦後もあっさり渡米する。私のぼんやりと知る戦争体験者の話とはまるで違う。やはりこ
ういうものなのか。

親の差、親の作った環境の差。専門バカになれるだけの環境は誰にでも与えられている訳
ではないのだ。努力してないとは思わないけれど、違いすぎて虚しくなった。おぼっちゃ
まは非難もしづらい。強いな。

★自伝評価
・オススメ :■■□□□
・役立ち   :■■□□□
・面白い   :■■□□□
・感動     :■■□□□

2011年6月21日 (火)

『旅人 ある物理学者の回想』 湯川秀樹 (13)

■古き良き学者さんの自伝

一昔前、大学と教養が直接的に結び付けられていたころのアカデミックな雰囲気がこの自伝にはある。ノスタルジックで強く憧れる。現代の大学とはあまりにかけ離れていてうらやましい気持ちになるが、今の若い人がこれを読んで張り切ると必ず失望してしまうだろうなとも思う。

湯川が学者として生きたことからか、世の中一般の人が社会に関わり始めるときに感じる違和感や不快はほぼみられない。27歳までしか書かれていないがそういった下界のことは想像上のものだったようだ。

湯川は空想家のきらいがあったのではないか。想像力が湯川を読み解く鍵になる。理論物理学の発展にきっかけをつくるといった成果や自伝内の文章の構成は想像力が豊かであることの証明になっている。自伝内では行動の表現が極端に少ない。ほんの少しの出来事に山ほどの心情説明、まるで行動しないことへの言い訳を連ねているようで相手をするのが面倒になってくる。しゃらくさい感すらある。

外から自分を客観的に見ている。対象物としての自分。自分自身のことだけでなく生まれ育った環境に多くのページが割かれている。親や兄弟、学校もそうだが何より風景描写が多い。自分自身の形成において環境こそが一番大きかったということを表しているのだろう。京都人の心性について京都の建物の構造から説明していることからもそういった意図は読み取れる。

人生何がきっかけで変わっていくかなどわからないのだな。ノーベル賞までとった湯川が意固地ともいえる性格を持ちながらも些細なことで人生の選択枝が狭まっていったところをみると少し驚いてしまう。流されて辿り着いたともいえるところでがんばったのだから意志が弱いのだか強いのだかわからない。意思だけは強い内弁慶だったのだろうか、よくわからない。

自分を突き放した書き方の回想録で、自伝の書き方としてはまるで私小説と自伝の間のよう。自伝として色々試しているし、書かれた文章もきれいでうまい。

結婚はそんなに凄いものなのか。孤独感を強く意識して生きてきたはずの人間を孤独ではないとまで言わせる。助け合う関係に孤独感は消え去るのか。うらやましい。

物理学の説明は私にはよくわからなかった。
自伝の大事な部分を読み落としたような気もする。

★自伝評価
・オススメ :■■■■□
・役立ち   :■■■□□
・面白い   :■■■□□
・感動     :■■■□□

2011年6月14日 (火)

『闇屋になりそこねた哲学者』 木田元 (10)

■武闘派哲学者

よく分からないことに対する憧れ、そんな単純なことが人生の大筋を決めてしまう。よく分からないということは見て見ぬ振りや反射的な拒絶をしてしまうほどにおそろしいものだ。その怖さの源泉、よくわからないということに憧れる。分からないことに取り組む自分に憧れているのかもしれない。少しミーハーな感じもする。

たとえば、自分の未来を想像するのは怖い、漠然としているけれど怖い。漠然としているから怖い。しかし木田はその怖さを平然と乗り越える。むしろより不安定になるかもしれないほうに賭けてみたりする。賢いといわれる行為がリスクを下げる選択をすることだとすれば、選択自体は無鉄砲極まりない。大筋の選択は単純、しかしその選択の後、自分のポジションをつくる能力に長けている感じがする。自分とその周囲だけは自力で作り出せてしまうような力がある。戦争直後自分の未来がどうなるかわからない、そんななかで生きてきたのが不安への対処となったのか。単純に腕っ節が自信の裏づけとなったのかもしれない。

やりたいことをやって生活するのは難しい。独りで決めてできることではないし、周りの人に恵まれなければできないことなのだけれど、木田は少し違う。受身ではないのだ。周りの人に恵まれるというよりも周りの人に恵ませる、といった感じがある。好き嫌いの個性がきついタイプなのだろうが好かせる、嫌わせると相手の感情は木田の思いのままなのではないかと思わせられる。木田の周辺だけが絶えず主体木田なのだ。判断する事柄に対して受身ではない、積極的であり続ける、スピード感すらある。周囲の世界と絶えず対面している感じ、飛びつくか受け流すかも他人まかせなところがない。リーダー的要素、司令等とでもいう要素が木田にはある。軟弱さの対極、頼りになる男だ。

有名な学者さんも他の分野からの方法論の転用を普通にするというのは少し意外だった。転用するというのが意外だったのではなくて、自分の頭から出てくることを考え続けるのではなく、キラッと光る考えにみんなで飛びつく。我先に、といった感じが意外だった。実用的かどうかということ以外は世の中一般とたいして違わないのだなと思った。結果が求められるという意味では良い事なのかもしれないけれど、哲学の世界でもそうだということに少し違和感を感じる。大転換だったり流行り廃りだったりなのかもしれないけれど。

★自伝評価
・オススメ :■■■■□
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・感動     :■■■□□

2011年6月12日 (日)

『春の草 私の生い立ち』 岡潔 (8)

■結論ありきの精神の生い立ち

自伝として過去を振り返っているとはいえない。出来事は振り返るけれどそれに付け足される言葉はすべて今(1966)の意見になっている。今、岡が考えることを裏付けるために自分の過去を引っ張り出しているといったところ。これは自伝というよりはエッセイですね。

育った環境も違うけれど何より時代が違うということを感じさせられた。まるで岡の言うところが私と噛み合わない、近づくことはあってもすれ違いどまり。根底となっているものが違うのだろうけれどよくわからないなぁ。解説が欲しい。

美意識とでもいうものが岡には流れている、そしてそれは素晴らしいものだと主張したいのだろう、けれど今の私から見ると違和感がある。美意識自体、その意味しているところには共感できるものも多い。しかし岡の人生を振り返りその美意識はこうして育まれたのだ、ということが書かれている部分、岡自身のエピソードがその美意識形成にあっていないように感じる。理想はいい、けれど後からのこじつけなんじゃないかなその形成過程、実態はだいぶ違うんじゃないかと疑ってしまう。

戦中に生まれた人がこの本をどう読むのかに興味がある。あるいは橋渡し役をしてもらわなければ岡の伝えたいことが私には伝わらない。前提が違いすぎるからだ。日本人という意識の移り変わり、出来事ではない、意識としての歴史の推移、新たな興味だ。

教訓めいたことが多いのは傲慢に見えてしまう。自伝からはそのときを生きていた自分といったものを読みたい。そして教訓はそのなかに忍ばせて読み手に受け取らせて欲しい。

もっとエッセイエッセイしたもので美意識を読むほうがいい。岡の使う用語をもう少し掘り下げなければニュアンスだけで終わってしまう。

★自伝評価
・オススメ :■■■□□
・役立ち   :■■■□□
・面白い   :■■□□□
・感動     :■■□□□

2011年6月 4日 (土)

『在日』 姜尚中 (1)

■書名は『在日』

残念ながら自伝としては好みではなかった。姜自身の話ではなく「在日」の話なのだ。

それぞれの時代に起こった出来事を「在日」視点から話しながらそれが「在日」である自分にとってどういうものなのかの解説が続いていく。姜自身と出来事との間に「在日」という膜が必ず付きまとう。他の自伝と違い「自分自身」を振り返る内容ではなく「在日である自分」を振り返るものだから立場と視点が絶えず一定で本当の姜を書いている様には感じられない。というよりも「在日」という膜が厚すぎて姜本人そのものではないように感じられてしまうのだ。「在日」ではなかった姜を想像してみたくなるほど「在日である姜」なのだ。

最初の方に書いてある両親やおじさん、在日の友人などの話は大変興味深かった。日本に生きた在日2世である姜の視た原風景を一部ながら共有できたように感じた。自伝としてではなくより評伝に近い形でもっと書いてくれないかなぁと期待してしまう。

勝手な私の好みとしては在日を代表してという要素を薄めて個人的な在日としての姜の話
をもっと読ませてもらいたかった。悩んだとは書いてあるがどう悩んだのか内的にもう一歩踏み込んでいるものが読みたいと思う。

★自伝評価
・オススメ :■■□□□
・役立ち   :■■□□□
・面白い   :■■□□□
・感動     :■■□□□