« 2012年2月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年3月

2012年3月31日 (土)

『つまらぬ男と結婚するより一流の男の妾におなり』 樋田慶子 (22)

■乙女な伯母さんが好かれる訳

女性が自伝を書くと決心した場合、男性よりも潔さを感じることが多い。なにせ書きたくないことは誰だって多い。男の人の多くが案外黙っているような恋愛のこと、人間関係の好き嫌いの感情、もっと直接的な非難や不満も一度自伝を書くと決めたなら、女性はかなり踏み込んで書く。男性の、社会的立場の推移とか教訓めいたお説教とかが女性の自伝にはあまり見られない。もちろん樋田の自伝にもそういったものは少なくて潔さと度胸、そして勢いを感じられる感情爆発の面白い自伝になっている。

時々しか会えない親戚の伯母さんが今日は面白いエピソードを持って遊びに来てくれた。痛快な振る舞いからの滑稽な失敗談から始まって、にやりとさせられたと思えばしんみりもする。好悪の感情に共感してドキドキしたり憤ったりさせられる。もちろんホロリもあるよ。伯母さんの、出来事に感情をぶつける話し方で私たちは前にも後ろにも揺さぶられ本当に楽しい時間を過ごすだろう。いいなぁ。役者の伯母さん最高だよ。語りかけるような文章で擬音が多いのも特徴のひとつ。この自伝、私はうっかり吹き出してしまった。

大学に行ってみたかったから俳優学校に入った樋田は、祖母のレールから離れるように俳優業に傾倒していく。祖母という縛りから(祖母を利用する形で)距離を置き、新たに新派の花柳との師弟関係という縛りを結ぶ。絶対的な決定権を持つ祖母の顔色を伺いながらではあるがここに自分の意思の有無を重視する、樋田の意識を感じる。同じ縛りではありながら自分の意思がある程度反映された花柳との師弟関係はしっかりと築かれた。しかし、それは一流の男の妾ではなく、子供になったようなものではなかったのだろうか。私には樋田は祖母の手の中から最後まで逃れきることはできていないように思う。

前半は樋田の幼少期で始まり、田中家から広がる「一流」達の交友。田中家自体の異世界感もおもしろい。一般人にはまったく縁のない世界を垣間見せてくれる。そこの中心に座っている祖母の一見古臭い感覚も、その交友関係と起伏の激しい人生から見聞きしてきたものだから、強烈な裏付けをもってどっかりとしている。自分の出自などを考えると正妻とはいかず、満足はいかなくとも「一流」と接することの凄みと旨みはとても大きいと判断したのだろう。

後半は劇団の厳しさと面白さが中心になる。早稲に毛の生えたお嬢から名脇役への楽しく愉快な成長物語を、花柳章太郎との師弟関係が軸に語られる。新派の劇に詳しいとより面白いのだろうけれど、よく知らなくても樋田のおっちょこちょい満載なのでたいへん面白い。

最後におまけで親しい6人とのエピソードが語られてお仕舞いである。見出し最後の3つ分で急に神がかって精神的になってきたのが唐突で奇異には感じられたけれど、最初の子供の目から最後は現在の目になっているということで納得することにしようと思う。

楽しい語りで、役者さんの自伝はこうであってほしいと思います。

★自伝評価
・オススメ :■■■□□
・役立ち   :■■■□□
・面白い   :■■■■□
・感動     :■■■□□

2012年3月 4日 (日)

『半生の記』 松本清張 (21)

■平凡な暗さ

これは恨みの塊だ。本当は話したくなかったであろう内容で、話すべきではないと清張も思っていたはず。けれど、両親がなくなって数年後に出版される。そこを見逃すわけにはいかない。

両親の存在は子供にとって大きい。清張の場合、自分の人生は両親の人生のおまけであって自分が主役の人生ではなかった。親の愛情表現も自分を親子関係に拘束するための手段として捉えている。一人息子の辛さ、しかも貧乏。両親との生活のために自分のやりたいこともできず望みを持つことすら虚しい状況で生きていく。清張には自分の人生のコントロール権がない。両親に付きまとわれ、戦争にも駆り出され、会社の中に目標を持つことすらできない。自分の人生に積極的に関わることができないのだ。自分の決定権が自分にはないのだ。

あまりに辛かったのだろうかこの自伝、どこか人事のように書いてある。流され流され生きてきたのが文章からもよくわかる。時折、新聞社に仕事を求めたり、箒を西日本に売り歩いてみたりと行動力を発揮する場面もあるが、それすら父親の大胆な性質と重なって見えてしまう。母親の悲観的で損な性質も清張の基本的な部分をしっかりと構成していて、あぁこの両親の子供であり本当に芯から拘束されているのだなぁとそら恐ろしくなってくる。

あとがきまで含めて両親の死でこの半生の記が終わるのだから、清張にとって本当に大きな人生の区切りは小説家になるかならないかなどではなく、両親の存在であったということは明らかである。半生の記とはよくできたタイトルだと思う。

清張は小説家になり周りの見る目も変わりだしたけれども、何も変わらずこの日々が死ぬまで続くであろう人達が大勢出てくる。清張だって誰かの何かで変わらなかったかもしれない。底辺のような、歯車としてすら認めてもらえないような人生がたくさんあって、省みられもしない。これって本当に怖いことだと思う。どうすればいいのかはわからない。

現在、恨み事はなかなか書けなくなっている。これを読むのは辛く進まないけれど、貴重なものだと思う。

★自伝評価
・オススメ :■■■■□
・役立ち   :■■■■□
・面白い   :■■□□□
・感動     :■■■□□

« 2012年2月 | トップページ | 2012年8月 »