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2011年6月

2011年6月26日 (日)

『球界の野良犬』 愛甲猛 (14)

■自分ルール

暴露を期待するおもしろさ。暴露を楽しめる自分に嫌悪する、共犯意識というか、下劣な楽しみ方。愛甲の暴露は間違いなく面白い。普段、本当はこうなんだろ、と思いながらもお約束としての綺麗な野球を楽しむ、そこに安心感とがっかり感と卑劣感をたたきこむ。読むほうにもこんな本駄目だという建前をつくらせながら、内面ではにやつかせる。困った本だ。暴露されているのは自分の性質の方。感想を求められるのが一番困ってしまう。悪趣味だけど間違いなくおもしろいよ。

この自伝、みんなが知らない俺、を書いたものであって自分の内面を見つめなおして書かれたものではない。だから暴露に終始する。自分の欲望に素直、生きたいように生きる、その延長線上にこの自伝もある。こういった自伝は世間との距離感が肝になっていて書ける人は限られている。愛甲にはドンピシャで、知名度がありイメージもありで裏面を想像させられてしまうような強烈なキャラクターも備わっている。自伝というか裏面史とでもいったほうが正しい作品だ。

この自伝の本当の面白さはここから先、この自伝を書いたことによって愛甲がどうなるのか、黙殺され続けるであろう愛甲自身の今後。球界を離れ、唾を吐きかけ、それでも野球が好きだという愛甲のこれから。今度こそ野球と絡めようが絡めまいが愛甲自伝の本当に面白い部分になるはずだ。終わった自伝の先に本当の面白い自伝が待っている。必ず書いてほしい。

プロ野球を目指す子供たちにはぜひ読んでもらいたい、身体能力だけでなく思いの面で愛甲ほどのものが野球にあるのか、そして愛甲のような同僚がいることを受け入れられるのか。間違っていることの方が多いが、それでもそれだけ野球しかないという気持ちは伝わってくる。

同時代に生きている私には昔々の自伝と違って現実感が強い。年をとってから同世代の人が書く自伝を読むことが今から楽しみだ。気持ちよく読めるようになってはおきたいが。

★自伝評価
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2011年6月21日 (火)

『旅人 ある物理学者の回想』 湯川秀樹 (13)

■古き良き学者さんの自伝

一昔前、大学と教養が直接的に結び付けられていたころのアカデミックな雰囲気がこの自伝にはある。ノスタルジックで強く憧れる。現代の大学とはあまりにかけ離れていてうらやましい気持ちになるが、今の若い人がこれを読んで張り切ると必ず失望してしまうだろうなとも思う。

湯川が学者として生きたことからか、世の中一般の人が社会に関わり始めるときに感じる違和感や不快はほぼみられない。27歳までしか書かれていないがそういった下界のことは想像上のものだったようだ。

湯川は空想家のきらいがあったのではないか。想像力が湯川を読み解く鍵になる。理論物理学の発展にきっかけをつくるといった成果や自伝内の文章の構成は想像力が豊かであることの証明になっている。自伝内では行動の表現が極端に少ない。ほんの少しの出来事に山ほどの心情説明、まるで行動しないことへの言い訳を連ねているようで相手をするのが面倒になってくる。しゃらくさい感すらある。

外から自分を客観的に見ている。対象物としての自分。自分自身のことだけでなく生まれ育った環境に多くのページが割かれている。親や兄弟、学校もそうだが何より風景描写が多い。自分自身の形成において環境こそが一番大きかったということを表しているのだろう。京都人の心性について京都の建物の構造から説明していることからもそういった意図は読み取れる。

人生何がきっかけで変わっていくかなどわからないのだな。ノーベル賞までとった湯川が意固地ともいえる性格を持ちながらも些細なことで人生の選択枝が狭まっていったところをみると少し驚いてしまう。流されて辿り着いたともいえるところでがんばったのだから意志が弱いのだか強いのだかわからない。意思だけは強い内弁慶だったのだろうか、よくわからない。

自分を突き放した書き方の回想録で、自伝の書き方としてはまるで私小説と自伝の間のよう。自伝として色々試しているし、書かれた文章もきれいでうまい。

結婚はそんなに凄いものなのか。孤独感を強く意識して生きてきたはずの人間を孤独ではないとまで言わせる。助け合う関係に孤独感は消え去るのか。うらやましい。

物理学の説明は私にはよくわからなかった。
自伝の大事な部分を読み落としたような気もする。

★自伝評価
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2011年6月18日 (土)

『もぐらの歌‐アニメーターの自伝』 森やすじ (12)

■こんな人生のアニメーション

自伝を書く人にある武勇伝やなにがしかの偉業の達成といったものが書かれていない。アニメーターという分野での貢献はあるのかもしれないがそういった表現はなく、ただ時代のなかを生きる一人間としての自伝になっている。したがって怒涛の時代を生き、新分野の開拓に関わっているはずなのだが、森の雰囲気とあわさって妙に穏やかな作品になっている。

アニメの人なだけあって描写に可愛らしさがありコミカルな雰囲気もある。その分ポツポツとでてくるキツメな表現に驚いたりさせられる。濁点のない文体は読みにくいが、優しく語りかけられるような感じで表現というものを考えられてきた人なのだなと思う。

アニメで生きてきた人なだけあってこの自伝もおそらくアニメ的にできている。まるで全12回の15分アニメのようで、アニメの原案をつくる工程とその素材を見せてもらっているような感じだ。それはあとがきからもわかる。終わったアニメが終わっていないという感覚、達成感と寂しさ、終わっているのに続いているという違和感、そんなことを感じていることが率直な表現で書かれている。

本の後ろに載っている高畑勲の書く森が読んでイメージする森そのままで驚いた。こんな人物だろうと想像して読み、そのままが、実際にあったことのある人によって裏付けられているのだから「文は人なり」というのが2重に証明されているような気がする。

戦争中の炎や飛行機の表現にキラキラ、幻想的といった表現を使うのには違和感を覚えてしまう。もちろん森の見たまま思ったままを書いているのだし、当時を本当に生きているわけなのだけれど、私のほうがそういった表現に違和感を覚えるということは反戦教育と表現の規制がセットになっているのかなとも思ってしまった。変なの。

この世代の人と話すと、キリッとした目でとても優しいのだが、急に残酷なことを当たり前なことのように話される人が多い。これはなんなのか。ふり幅の大きさがスケールの大きさになっているのか。価値観が変わってしまっているのだろうけれど、戦中世代の人とのジェネレーションギャップだけは埋められない程大きいと思う。

色々書きづらかったかな。アニメ的に書かれているからアニメ業界で働く人には構造的にヒントがあるのかもしれない、けれど普通に生きる人の人生をアニメ的にこの枚数で書かれると食い足りない感じがしてしまう。アッサリめ。もっと読みたいと思う。過不足なしではもったいない。

★自伝評価
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2011年6月17日 (金)

『自伝大木金太郎 伝説のパッチギ王』 大木金太郎 (11)

■憧れとともに生きる

なぜここまで一人の人間に惚れこめるのか。羨望の地でもある日本と憧れの対象である力道山、どちらもほとんど金には想像上のものにすぎなかったはずだ。それなのにやってきてしまう。望みが叶う可能性などほぼないにもかかわらず、地位や両親を捨て渡日した。不可能へのわずかな可能性にかけた勇気、無鉄砲さには単調な生活から劇的なものへの憧れもあったのだろう。劇的なものへの憧れが自縄自縛となり、そのフラストレーションが一層力道山への忠誠ともいえるものへと昇華していったようにも思える。運命的なるものへ自分を据えたのだ。

韓国人の日本人に対する強い被差別意識と不信に驚かされる。豊かさへの憧れとも混ざって感情はずいぶんとねじれている。貧乏な私を昔からいじめていたお隣のお金持ちを想像すると近いのか。日本で実際に生活をし、日本人のファンも多くついた金ですら日本人の韓国人への差別を語る。被害者意識が強すぎるようにも感じる。しかし見方が大げさだったとしても金はそう思ったのだ。そう思わせるだけの下地はあったのだし、金が劇的な人間であるぶんを差し引いたとしても、やはり不当な差別はあったのだろう。

韓国人による日本人へのむき出しの敵意と悪意にもまた驚かされる。金ですら困り果てるほどの激しい感情、現実に日本を見た金や在日韓国人よりも段階で言うと一段下がっている。彼らが憎んでいるのは現実の日本ではない、聞き、想像した日本なのだ。現実の日本を知る金や在日韓国人が日本との関係を改善する段階にきているのと比べるとすさまじい程のギャップがある。引きこもりの想像力に近いものを感じてしまう。

空想、想像から現実という構造が金の自伝には繰り返される。金の力道山に対するもの、金の日本に対するもの、そして韓国人による日本に対するもの。結局、現実は想像や空想のなかにはないのだ。悲しいことに補完構造にすらなりえていない。空想、想像はゼロ地点にすら立てていないのだし、時にマイナス要因になってしまう。劇的なる金にとってアクセルのような効果を果たしているのが唯一の救いだといえる。

力道山の果たせなかった南北統一と韓日国交正常化への思いが、金の新たなる韓日関係の進展という思いに重なる。残念ながら力道山同様金はその思いを果たすことができなかった。しかし力道山と金を見ればほんの少しながら希望をもっても悪くないような気がした。
米国での金と韓国人、日本人のあり様は現実にあったのだ。

金と力道山、そしてレスラーたちの男くさい関係性も読んでいて燃える。

プロレス、全く縁がなかったけれど金の努力話を読むと興味がわいてきた。筋肉、単細胞、バカ、やらせなイメージだったけれどそういうことじゃない、今度足を運んでみようと思う。ものの見事にブレーキを踏んでいたんだな。

★自伝評価
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2011年6月14日 (火)

『闇屋になりそこねた哲学者』 木田元 (10)

■武闘派哲学者

よく分からないことに対する憧れ、そんな単純なことが人生の大筋を決めてしまう。よく分からないということは見て見ぬ振りや反射的な拒絶をしてしまうほどにおそろしいものだ。その怖さの源泉、よくわからないということに憧れる。分からないことに取り組む自分に憧れているのかもしれない。少しミーハーな感じもする。

たとえば、自分の未来を想像するのは怖い、漠然としているけれど怖い。漠然としているから怖い。しかし木田はその怖さを平然と乗り越える。むしろより不安定になるかもしれないほうに賭けてみたりする。賢いといわれる行為がリスクを下げる選択をすることだとすれば、選択自体は無鉄砲極まりない。大筋の選択は単純、しかしその選択の後、自分のポジションをつくる能力に長けている感じがする。自分とその周囲だけは自力で作り出せてしまうような力がある。戦争直後自分の未来がどうなるかわからない、そんななかで生きてきたのが不安への対処となったのか。単純に腕っ節が自信の裏づけとなったのかもしれない。

やりたいことをやって生活するのは難しい。独りで決めてできることではないし、周りの人に恵まれなければできないことなのだけれど、木田は少し違う。受身ではないのだ。周りの人に恵まれるというよりも周りの人に恵ませる、といった感じがある。好き嫌いの個性がきついタイプなのだろうが好かせる、嫌わせると相手の感情は木田の思いのままなのではないかと思わせられる。木田の周辺だけが絶えず主体木田なのだ。判断する事柄に対して受身ではない、積極的であり続ける、スピード感すらある。周囲の世界と絶えず対面している感じ、飛びつくか受け流すかも他人まかせなところがない。リーダー的要素、司令等とでもいう要素が木田にはある。軟弱さの対極、頼りになる男だ。

有名な学者さんも他の分野からの方法論の転用を普通にするというのは少し意外だった。転用するというのが意外だったのではなくて、自分の頭から出てくることを考え続けるのではなく、キラッと光る考えにみんなで飛びつく。我先に、といった感じが意外だった。実用的かどうかということ以外は世の中一般とたいして違わないのだなと思った。結果が求められるという意味では良い事なのかもしれないけれど、哲学の世界でもそうだということに少し違和感を感じる。大転換だったり流行り廃りだったりなのかもしれないけれど。

★自伝評価
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2011年6月13日 (月)

『名人に香車を引いた男 升田幸三自伝』 升田幸三 (9)

■息子を見る目

こんなにかわいい男もまあいない。目標に向かって進むさまは心配、実現していくところなどは痛快としかいえない。自分の筋は通すが変幻自在な柔軟さも持ち合わす。度胸もある。おっちょこちょいで調子にのりやすい。しかしなにより義理堅い。理想の息子像を体現している。いつのまにやら升田を見る目が親の目になっている。このバカ大丈夫か、大丈夫にきまっている幸三だもの、心配と痛快の繰り返し、両親や木見先生が羨ましくなるほどだ。

こんな人生もある。どうやったって叶うはずのない願いが叶う。自分の力だけではどうにもならにはずのことがとんとんと目の前に転がり込んでくる。もちろん手の届く所にいることは絶対で準備は万端だ。条件としては不利どころか不可能とみて間違いない。なかば幸三も諦めているはずだ。自分のがんばる方向、その延長線上に願いがあるというのがよかったのか。いくぶん皮肉なところもあるがそれでも願いは叶った、いつ叶うかはわからない、でも、こんなこともあるのだ。

勝負師の精神の在り方もおもしろい。特に夢を叶えるとき、その心境の変化から得られるものが勝負事における結論かもしれない。勝負事の世界で生きてきた幸三が最大の結果を残したときに考えられたものだし、なにより才能関係なく誰にでも実践できうるものだというのが素晴らしい。心境のあり方はまねられる可能性があるはず。少なくとも意識はできる。

GHQにブッくだりもまた楽しい。屁理屈だろ、それ、とも思わなくもないが気分はいい。豪快で愉快だ。実際こんなくだらないやり取りがいくつも行われ、わずかでも日本統治に影響があったのだとしたら、国を動かすのはいい加減でも十分、権力さえにぎれば適当なものなのだな。

★自伝評価
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2011年6月12日 (日)

『春の草 私の生い立ち』 岡潔 (8)

■結論ありきの精神の生い立ち

自伝として過去を振り返っているとはいえない。出来事は振り返るけれどそれに付け足される言葉はすべて今(1966)の意見になっている。今、岡が考えることを裏付けるために自分の過去を引っ張り出しているといったところ。これは自伝というよりはエッセイですね。

育った環境も違うけれど何より時代が違うということを感じさせられた。まるで岡の言うところが私と噛み合わない、近づくことはあってもすれ違いどまり。根底となっているものが違うのだろうけれどよくわからないなぁ。解説が欲しい。

美意識とでもいうものが岡には流れている、そしてそれは素晴らしいものだと主張したいのだろう、けれど今の私から見ると違和感がある。美意識自体、その意味しているところには共感できるものも多い。しかし岡の人生を振り返りその美意識はこうして育まれたのだ、ということが書かれている部分、岡自身のエピソードがその美意識形成にあっていないように感じる。理想はいい、けれど後からのこじつけなんじゃないかなその形成過程、実態はだいぶ違うんじゃないかと疑ってしまう。

戦中に生まれた人がこの本をどう読むのかに興味がある。あるいは橋渡し役をしてもらわなければ岡の伝えたいことが私には伝わらない。前提が違いすぎるからだ。日本人という意識の移り変わり、出来事ではない、意識としての歴史の推移、新たな興味だ。

教訓めいたことが多いのは傲慢に見えてしまう。自伝からはそのときを生きていた自分といったものを読みたい。そして教訓はそのなかに忍ばせて読み手に受け取らせて欲しい。

もっとエッセイエッセイしたもので美意識を読むほうがいい。岡の使う用語をもう少し掘り下げなければニュアンスだけで終わってしまう。

★自伝評価
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2011年6月11日 (土)

『チャップリン自伝-若き日々』 チャップリン (7)

■才能は孤独のうちに成る

孤独だったんだろうなあ。心休まる場所もなく子供から大人になってしまった。社会と交わって育たないから人との付き合いもうまくない。うぬぼれ、感じが悪い言動、恩義も感じないわけではないが返すこともない。悪意にさらされながら育つと他人を懐疑的にみてしまう。他人の善意を信じることができない。そうなってしまうのもしかたがない。事実チャップリンの育った環境は厳しかった。人間こりゃ歪むよ。

この親にしてこの子ありとはいうけれど遺伝というのは何も遺伝子的なものだけじゃない、その親がひきずっている環境に子供は生まれるのだから当然そういったものも引き継がれる。チャップリンが幼い頃舞台に立ったというのはこの親でなければなかったことだろうし、それが後のチャップリンをつくるきっかけになったのは間違いない。父親にしても母親にしても階級というものを強く意識させられる存在で、100年前のイギリス特有というわけじゃなく現在の世界どこにだってある相変わらずのものだ。チャップリンはたまたま演劇という才能が映画という時代にあたって花開いたわけだけれど、はたして時代の波がずれていたならば当然ここまでの名声は得られなかったのは間違いないはず。努力よりも才能、さらにそれよりも運、そんな風に感じられてしまう。

チャップリンが始めて浮浪者役に扮した時、熱心に説明するその役づくり、これチャップリンの内面そのものなんじゃないでしょうか。新しくつくりだす性格、それはもちろん過去に自分を通過していった出来事、感情や感覚を組み合わせてつくられるわけで、それって私達が普段未来を予想したりする時と同じ心の動きですよね。新しいものの創造と未来の予測が同じ構造でできているというのはなかなかおもしろい発見でした。

このチャップリン自伝、本来の自伝の3分の1にあたる「若き日々」の部分だけになっています。なんだよー全部読みたいよー、と思ってもどうやら残りは絶版状態。世界的な人気に手がかかった所で終わってしまうんですよね。新潮社さんなんとかしてください。英語で読むのはしんどいんです。

★自伝評価
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2011年6月10日 (金)

『戸籍も本名もない男 アメリカで夢を摑んだ戦災孤児』 村上早人 (6)

■悲しい現実

こんなことがあっていいはずはない。想像するのがつらい。見たくないものを見せられるのはこんなに辛いのか。この本、章ごとに焦点を決めその周辺含め書いてある。20代前半までの出来事が主に書かれているのだが自分と比較することすらできない。圧倒的に違う。私が当然と思うものがなにひとつ当然ではないのだ。戸籍も本名もない男どころではない、何もない。あってもなくなる。ただ心に残るのみ。現実だとは思えない。部分でこうなのだから実際生きるハヤトが現実を直視できなくてもしかたがないはずだ。けれどハヤトは生きる。生きることが目的。生きて何をするかではない。生きることこそが目的なのだ。それで前に進む。今も虚無感にとらわれながら進んでいる。

集団としての戦争とその結果を引き受ける個人。これがひとつテーマなのかとも思う。けれど今を生きる私には想像することしかできない戦争よりも同じような構造で今辛い状況にいる人がいることのほうが想像させられる。きっといるはずなのだ。その人を助けることができなければ戦争があろうがなかろうが関係ない。むしろ戦争があったということが知られている分まだ彼らの方がましだということになる。しかしどうすればいいのか。私が少しでも気の持ちようで、といった解決策しかとりようがないのはわかっている。私と国には接点がないのだし、他人に影響を与えられるような状況でもない。今、きっといる
過酷な状況にいる人がたまたま私とすれ違った時具体的にできることをしてあげようと思う。9回は見てみぬふりでも1回は手を差し出せるように、そういう些細なことからでもはじめていくしかない。それがこの本を書いたハヤトの望みでもあるだろう。

これほどに過酷なハヤトが生きられたのも出会った人がいたからだ。けれどここまで過酷になったのも周りの人のせいだともいえる。積極的に関わるのは同じような境遇のしかも一部だけ、後は消極的に存在を無視するか積極的に悪意をむけるか。アメリカにわたってからもそれは変わらない。今も変わらないところをみるとこれが人間の集団の傾向なのだろうか。

和田の親分の励ましはいい。

★自伝評価
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2011年6月 8日 (水)

『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』 ヘレン・ケラー (5)

■学ぶことのすべて

風景描写がこの自伝には多い。物に対する手触り、匂い、暖かみの描写はわかる。しかし見ないとわからないような事が表現されている。三重苦のヘレンにこのような表現ができるのか。最後までいくらかの疑いは晴れなかったがヒントはあった。‘実はいまでも自分の考えと、本で得たものとの区別がきちんとつかない。これは、私が手にする印象の多くが、他人の目と耳を介するためだろう。‘なるほど、だからヘレンの描写するものは物語的なのだ。嘘のようによくできた描写も借り物だとすれば納得がいく。借り物の表現の継ぎ接ぎで彼女の外の世界は表現されているのだ。さて、だとすると疑問がわく。私達とヘレンの表現に違いがあるのだろうか。表現は同じでも表現しているものが違うことはあるだろう。けれど、表現する際の考え方は同じはずだ。手順は一緒のはずだ。表現の継ぎ接ぎなのだ。これが言葉の効果なのだと気づかされた。見えないヘレンと見える私達、着眼点の違いも面白い。

他の自伝にある自分自身の過剰な美化ともいえる部分がヘレンの場合には見える、分かることの過剰表現になっているのだろうか。三重苦な彼女の興味関心がそこに集まるのも当然ともいえる。

ヘレンの幼い頃のかわいらしさといったらない。アメリカにおける良い家柄の豊かな生活のなかで育つヘレン。三重苦だなどとはとても信じられないくらい元気なのだ。田舎、広い庭、暖炉、召使い、遊び相手、花にぬいぐるみと暖かい家族。そこで気持ちを伝えられないことにいらだちながらも元気に過ごす少女。こころ温まるというのはこういうことなのかと思ってしまう。愛情あふれる環境で育つヘレンを好きにならずにはいられない。

学ぶことについて分かることが非常に多い。説明するのは難しいのだが学ぶことの本質をこんなに捉えている本は今までみたことがない。学ぶことがヘレンの場合直接的に生きることと関係し、積極的に世界と相対することになるからだ。全文通して学ぶ意欲、意義、理由などその姿勢に気づかされることは多い。

★自伝評価
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2011年6月 7日 (火)

『自叙伝・日本脱出記』 大杉栄 (4)

■ナイーブさがエネルギーに変わる

自己分析ができないわけではない、ただ他者の分析が苦手なのだ。想像力が少し足らないのかもしれない。自分の行動からどんな結果が出てくるのか。その時にはわからない。自分の行動を振り返り、抑えられなかった動機も含めて分析される。しかし独り善がりなのだ。神近の分析もされる。しかし結果として刺されている。(解説によればこの自伝が出版された直後神近から事実の描写についての反論もでている。とすれば彼女に対する描写、分析は脚色が施されているのではないか。)どことなく芝居がかっていて、わずかな脚色が積み重なっているようにも感じる。

自伝からは豪快な大杉が想像される。しかしわずかに書かれるナイーブな自分という部分が彼の本質なのだろう。猫を残酷に殺したりする異常さが本質ではない。ナイーブさを覆うために無理をする、勇気があるように振る舞う、ナイーブな自分とありたい自分とのぶつかりから彼の行動はでているのではないか。初めて牢屋に入れられた時の描写が大杉の性格を特に表していると思う。

大杉のナイーブさはどこからくるのか。何かしらのコンプレックスが関わっていそうだがわからない。親との関係にヒントがありそうな気もするが想像の域をでない。

監獄の中の話は楽しい。捕まって拘束されている悲哀はあまり感じられず、気の合う仲間達とまるで寮で楽しく暮らしているようにさえ感じさせられる。勉強し労働し看守と賢くコミュニケーションし出た後の計画を練る。誰かが抜けても定期的に別の新しいメンバーが寮に入って来て新陳代謝もよさそうだ。現代なら外国人留学生まで入ってくるだろう。へたな寮外の人々よりもよほど充実して生きている。

日本を出る話もまた楽しい。ミステリのようなおもしろさがある。なにせ大杉は本物の国家を相手にしているのだから単純にみえる行動にもドキドキさせられる。尾行もつくし密航もする。国単位ではない、思想単位での同志とのありかたもおもしろい。日本人の同士ではなく中国、朝鮮、ヨーロッパの同士の方に共感したりする。時代を考えるとこういう関係もあったのかと思わされた。

★自伝評価
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2011年6月 6日 (月)

『夢酔独言』 勝小吉 (3)

■有り余るエネルギー

どうかしている。力に裏付けられた度胸のよさ。自身に対する自信のありようは尋常ではない。やりたいこと面白そうなことには飛び込んでいく。一切の遠慮がない。頼られたら助ける。気に食わなければ刀を振る。金が欲しけりゃ借りてくる。小吉には他人がないのだ。自分だけがいる。シンプル。行動だけをみるとそう思える。けれどそうではない、シンプルに見える行動には小吉が思う理想像が関係している。その理想像に従って生きてきたのだ。だから恐れないし他人の評価を気にしない。この自伝を書いている時も反省の弁はでるが理想像としての自分を間違っていた事に対して反省しているように思える。間違った理想に従って行動したことを反省しているのだ。もちろん自分の存在を否定するものではない。子孫に理想を説くことからもそういった小吉の意識は窺える。

物凄いパワーで前進していくさまに惚れ惚れすると同時に恐ろしくもなる。スケールが大きいというのはこういう男の事をいうのだ。なにをしても成し遂げる。そんな感じがする。
しかも小吉は賢い。場数を踏んでいるから生きるうえでの知恵を持っているのだ。頭の回転も早い。こんな生き方に憧れる。けれどすぐ自分には無理だとわかる。小吉の言う「いつでも死ねる覚悟」、つまり「覚悟」がないのだ。なにが小吉をここまで突き動かすのか。やはり理想としての自分なのか。理想と違うくらいならば、という思いからくるのだろうか。

小吉が唯一できなかったことが定職に就くことだった。こればかりは持っていた理想と違っていたためひどく悔いているのがわかる。他人の評価を気にしている様も書かれている。
これほどの男でもできない事はあったのだ。

この本、なかなかに読みづらかった。もともとが江戸時代に書かれたというのもあり、小吉が文字の読み書きを苦手というのもありで理解できない部分があった。考えて読む事を小吉が求めているだけあって私にしっかり読めているかはかなり怪しい。再読した時に読み違いなどに気づくのも楽しみのうちだと思っておくことにします。

★自伝評価
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2011年6月 5日 (日)

『なんでそーなるの!萩本欽一自伝』 萩本欽一 (2)

■自分も含めた観察日誌

読むと欽ちゃんを嫌いになる。けれどそれが自伝に対しての誠実さとなっている。自伝に
対して誠実であることは自分の人生に対して真面目に向き合って書いた証拠ともなってい
て、その姿勢だけで欽ちゃんを好きになる。こういう自伝私は好きです。

他人を受け入れることができる柔軟性が欽ちゃんの魅力なのだろう。読んでいくと欽ちゃ
ん本人に強い我があるのがわかる。けれど他人から影響されることもすごく多い。我が強
い人は他人の意見なんかあまり聞かないものだと勝手に思っていた。でもそうじゃないら
しい。欽ちゃん本人にこんな厚みを持たせているのは他人なのだ。流されて他人を受け入
れるのとは違う。強いものがより強くなる感じといえばいいのか。強い我が他人を受け入
れる。

出てくる人がみな魅力的で楽しい。小説ではないから同じ人が優しかったり酷かったりで、
憧れる反面絶対関わりたくないようにも感じる。もちろんそれは欽ちゃんも同じで興味深
くておもしろい。人に対していろんな感情が混ざる。でも成立してるんだよね。欽ちゃん
の観察力の賜物なのかな。

自伝評価
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2011年6月 4日 (土)

『在日』 姜尚中 (1)

■書名は『在日』

残念ながら自伝としては好みではなかった。姜自身の話ではなく「在日」の話なのだ。

それぞれの時代に起こった出来事を「在日」視点から話しながらそれが「在日」である自分にとってどういうものなのかの解説が続いていく。姜自身と出来事との間に「在日」という膜が必ず付きまとう。他の自伝と違い「自分自身」を振り返る内容ではなく「在日である自分」を振り返るものだから立場と視点が絶えず一定で本当の姜を書いている様には感じられない。というよりも「在日」という膜が厚すぎて姜本人そのものではないように感じられてしまうのだ。「在日」ではなかった姜を想像してみたくなるほど「在日である姜」なのだ。

最初の方に書いてある両親やおじさん、在日の友人などの話は大変興味深かった。日本に生きた在日2世である姜の視た原風景を一部ながら共有できたように感じた。自伝としてではなくより評伝に近い形でもっと書いてくれないかなぁと期待してしまう。

勝手な私の好みとしては在日を代表してという要素を薄めて個人的な在日としての姜の話
をもっと読ませてもらいたかった。悩んだとは書いてあるがどう悩んだのか内的にもう一歩踏み込んでいるものが読みたいと思う。

★自伝評価
・オススメ :■■□□□
・役立ち   :■■□□□
・面白い   :■■□□□
・感動     :■■□□□

2011年6月 3日 (金)

どんなことかというと

これから読む人のためにも本の内容紹介は極力避け、読んで私が思ったことを書くようにしています。ですから多少の脱線はありますがなるたけ自伝と私との交点から離れないようにしたいと思っています。

著者それぞれの活躍した分野に精通しているわけではなく、常識として知られていることでも分からないことの方が多いのでトンチンカンなことを書いたりしています。

ありきたりな綺麗ごともわかっていながら書いてしまったりします。

自伝の批判は人物批判に受け取られてしまう場合が多いとは思いますがそういう意図はなく、一面的な自伝の範囲内での内容や構成の批判のつもりで書いています。

自分の人生を降り返った時、それぞれの出来事に後から意味を見出し、その出来事の結果どうなったのか、そしてどのように生きたのか、どう思っているのか、といったことから、生きることの意味を見失いぎみの自分に役立たせたいと思っています。

起こった出来事を羅列するだけの自伝は好みではありません、起こったことに対して著者がどう思ったかといったところに最も興味があります。

自分と世界との距離間がおかしく感じられるものもあまり好みではありません。

あるまとまった一定の期間の自分の人生を自分又は聞き書きで書いているものを自伝だと思っています。評伝は読む気がまったくありません。旅行記や冒険記、留学記、戦争体験記などは含まれるのですが、とりあえずはめぼしい自伝を読みきるまで外しておきます。

なんとなく目標がないとつまらないので100冊読んでみようかと思っています。わかりやすいしね。

2011年6月 2日 (木)

練習

おためし投稿

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