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2011年6月17日 (金)

『自伝大木金太郎 伝説のパッチギ王』 大木金太郎 (11)

■憧れとともに生きる

なぜここまで一人の人間に惚れこめるのか。羨望の地でもある日本と憧れの対象である力道山、どちらもほとんど金には想像上のものにすぎなかったはずだ。それなのにやってきてしまう。望みが叶う可能性などほぼないにもかかわらず、地位や両親を捨て渡日した。不可能へのわずかな可能性にかけた勇気、無鉄砲さには単調な生活から劇的なものへの憧れもあったのだろう。劇的なものへの憧れが自縄自縛となり、そのフラストレーションが一層力道山への忠誠ともいえるものへと昇華していったようにも思える。運命的なるものへ自分を据えたのだ。

韓国人の日本人に対する強い被差別意識と不信に驚かされる。豊かさへの憧れとも混ざって感情はずいぶんとねじれている。貧乏な私を昔からいじめていたお隣のお金持ちを想像すると近いのか。日本で実際に生活をし、日本人のファンも多くついた金ですら日本人の韓国人への差別を語る。被害者意識が強すぎるようにも感じる。しかし見方が大げさだったとしても金はそう思ったのだ。そう思わせるだけの下地はあったのだし、金が劇的な人間であるぶんを差し引いたとしても、やはり不当な差別はあったのだろう。

韓国人による日本人へのむき出しの敵意と悪意にもまた驚かされる。金ですら困り果てるほどの激しい感情、現実に日本を見た金や在日韓国人よりも段階で言うと一段下がっている。彼らが憎んでいるのは現実の日本ではない、聞き、想像した日本なのだ。現実の日本を知る金や在日韓国人が日本との関係を改善する段階にきているのと比べるとすさまじい程のギャップがある。引きこもりの想像力に近いものを感じてしまう。

空想、想像から現実という構造が金の自伝には繰り返される。金の力道山に対するもの、金の日本に対するもの、そして韓国人による日本に対するもの。結局、現実は想像や空想のなかにはないのだ。悲しいことに補完構造にすらなりえていない。空想、想像はゼロ地点にすら立てていないのだし、時にマイナス要因になってしまう。劇的なる金にとってアクセルのような効果を果たしているのが唯一の救いだといえる。

力道山の果たせなかった南北統一と韓日国交正常化への思いが、金の新たなる韓日関係の進展という思いに重なる。残念ながら力道山同様金はその思いを果たすことができなかった。しかし力道山と金を見ればほんの少しながら希望をもっても悪くないような気がした。
米国での金と韓国人、日本人のあり様は現実にあったのだ。

金と力道山、そしてレスラーたちの男くさい関係性も読んでいて燃える。

プロレス、全く縁がなかったけれど金の努力話を読むと興味がわいてきた。筋肉、単細胞、バカ、やらせなイメージだったけれどそういうことじゃない、今度足を運んでみようと思う。ものの見事にブレーキを踏んでいたんだな。

★自伝評価
・オススメ :■■■□□
・役立ち   :■■■□□
・面白い   :■■■■□
・感動     :■■■□□

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